霜降 どいや

《出会いに夢見るおっさん女子》恋愛をしなくても自身を幸せにできる

恋愛思考に縛られて恋愛に必死になっていた頃には、恋人に「私が幸せになるかどうか」を委ねていた気がするんだよな。でも、そういうギャンブルみたいなことはマジで無駄だったし、ああいうことが無ければ恋愛が面倒にならずに済んだのかなって思うんだよ。

 

・恋愛に必死だった昔の私が恋人に求めていたこと

今のおっさんみたいな私がいるのは、無理に恋愛をして、決して良いとは言えねえ感情に疲れてしまったからだ。もともと恋愛が苦手な性格な癖に、必死になって様々な相手といろんな恋愛を繰り返した挙げ句、どれも終わりを迎えてしまったんだよな。恋愛に向いてねえのに恋愛に必死だったのは、「恋人がいない私なんて」「恋愛をしてなんぼ」ってな恋愛思考のせいだ。

映画やドラマそれに小説や恋愛漫画のように、私も年を重ねるごとに素敵な恋愛を自然にすると思っていたし、そうあるべきだって考えてたんだよな。そんな恋愛思考があったから恋愛に向いて無さを薄々感じ取りながらもそれに気付かねえふりをして、無理に出会いを求めたりモテを極めたりした。でも、数多くの恋愛の果てに行き着いたのは「やっぱ私は恋愛に向いてねえわ、無理にするもんじゃねえわ」って結論なんだよ。どんだけ遠回りして本音と正直に向かい合えたんだって話だよな。

で、恋愛に必死になっていた頃の私は、「恋愛をすること自体」「恋人がいるという事実」だけじゃなくて「恋愛や恋人の存在で私が幸せになること」をも血眼になって追い求めてたんだよな。確かに出会いやそれからの恋愛・恋人関係で幸せになるのが1番だよ。でも、当時の私は「自分が幸せになるかどうかを付き合う相手に委ねていた」ってところがあるんだよな。今になって思うよ、当時の私はマジでとんだ馬鹿野郎だったんだなって。

 

・相手に幸せを委ねることの危うさ

散々恋愛や恋人との交際で失敗した私だけどよ、恋愛の素晴らしさや大切なパートナーのいるかけがえのなさは理解してんだよ。実際、嫌な思いをすることのほうが多かったけどよ、それぞれの恋愛では必ず素敵な思いをさせてもらったし。それに、恋愛や恋人との交際は幸せで最高なものであることが1番だっていうのも当たり前のことだ。でも、昔の私は「自分自身が幸せになるかどうかを相手に任せきりにしていたかもしれない」ってところがマジでしょーもないんだよな。

自分自身が幸せになるかどうかを、出会いや恋愛から無事交際に繋げられた相手の恋人に委ねるなんて言ってしまえば賭けみたいなもんだ。私自身が幸せと感じられるかどうかを相手に委ねるってのは簡単なように感じられるし、そう思っていたから私は相手に委ねていたフシがある。でもな、実際は漠然としすぎてる「幸せ」を相手に求めたところで十分に満足できることのほうが少なかった。たとえ幸せを感じたとしても、相手に委ねきりだった私はとんだ馬鹿野郎だから「さらなる幸せをこの人から感じたい」と欲張っていたし。恋人という存在である相手に私自身の幸せを求めたところで、終わりが見えなかった。終りが見えねえから満足できなかったし、時には相手と私との関係が悪くなった。

交際中全てがハッピーじゃなかったってわけじゃねえよ。かと言って、その時々の恋人との交際全てがハッピーじゃなかったし、中には嫌な思いをすることのほうが多かったから今のような私がいるわけだしよ。そもそも「私が幸せだと感じるかどうか」「私が幸せになるかどうか」っていう明確な基準が無え、漠然とした何かを相手に求めるのはおかしな話だと今更ながらに思うんだよな。私が私自身のために何らかのアクションをして、それによる何かから幸せを感じるほうがよっぽど簡単だっつーの。だって、「私自身が何に対して幸せを感じるのか」っていうのは、私自身では何となく分かってんだし。なのに、幸せになるかどうかを相手に求めてばかりだったから話がややこしくなったんだよな、たぶん。

 

・今はおっさんみたいになってしまったけれど

「私が幸せになれるか・感じられるかどうか」を相手に求めることは簡単だと思っていた。でも、現実はそれほど甘くはなかった。私がいろんなものの考え方をするのと同じように、相手もいろんな考えや価値観がある。たとえ私が幸せに感じることだとしても、必ずしも相手にもそれが当てはまらねえことだってある。相手に幸せを求めるのは不安要素が多いし、感情を浪費することもあれば時間もかかることもある。

ハナから「私が幸せになるかどうか」を相手に委ねるような、そんなギャンブルみたいなことをするんじゃなかったよ。過去のその時々の恋愛で幸せを享受したものの、それと同じくらいもしくはそれ以上に嫌な感情に振り回された。ギャンブルの結果にハラハラしていろんな感情に辟易するくらいなら、その時間や感情を節約して自分自身に費やしておくべきだったんだ。そもそも交際相手に賭けること自体間違っていたんだよな。

今のおっさんみたいな私は恋愛自体を面倒に感じられるようになったけれど、「私は自分の力で幸せをゲットしてやる」くらいの気持ちを持てるようになった。幸せを求められるような相手や出会いが無えから、自分一人でなんとかするしかねえってところもあるけどよ。でも、私自身が幸せになるかどうかを交際相手に求めていた、恋愛思考に凝り固まったあの頃の私よりは何百倍もマシな人間になってる自信はあるよ。




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